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ボソ (プロヴァンス王) : ミニ英和和英辞書
ボソ (プロヴァンス王)[おう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

ボソ (プロヴァンス王) : ウィキペディア日本語版
ボソ (プロヴァンス王)[おう]
ボソ(Boso, ? - 887年)は、ボゾン家出身のフランク人貴族。カロリング朝の親戚〔彼の母の父ボソの娘で、伯母にあたるテウトベルガは、ロタリンギア王ロタール2世妃となった (Constance B. Bouchard, "The Bosonids or Rising to Power in the Late Carolingian Age" ''French Historical Studies'' 15.3 (Spring 1988, pp. 407-431) genealogical table, p.409..〕であり、プロヴァンス王(在位:879年 - 887年)。父はロタリンギアの伯であるゴルズのビヴィン。おばのテウトベルガはロタリンギア王ロタール2世の妻。ボソは又、イタリアの伯であり彼の名の元となったボソの甥であり、サンモーリス修道院長であるフクベルトの甥でもある。869年にフクベルトから修道院長を相続した。
== シャルル禿頭王への奉仕 ==
870年、西フランク王シャルル2世(禿頭王)はボソの妹リシルドと結婚した。ボソは、この結婚後、王である義兄に臣従した。同じ年、ボソはジラール・ド・ルシヨンに代わり、リヨンおよびヴィエンヌ伯に任命された。
872年、シャルル2世はボソを王位継承者であるルイ2世の執事および護衛長に任命した。さらにボソはブールジュ伯にも任命された。ルイ2世はアキテーヌの副王として君臨したが、若年であったため、王国の政治を行なったのはボソであった。
875年の秋、ボソはシャルル2世のイタリアへの最初の軍事行動に従軍した。876年2月、パヴィーアの議会でイタリアの首位の大臣および総督に任命され、公に格上げされた。彼はおそらくまたプロヴァンスの支配を託された。彼は副王として振る舞い、ローマ皇帝ロドヴィコ2世の唯一の娘エルメンガルドと結婚することで、ますます威信を高めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボソ (プロヴァンス王)」の詳細全文を読む




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